風水都市 - 東京(江戸)の歴史
風水師・有希
徳川家康も城造り、都市造りに風水を活用した戦国武将の1人です。
優秀な戦国武将ほど、孫子の兵法や風水など、新たな知識を貪欲に取り入れ、活用させています。
日本を代表する戦国武将ですが、現代で言うなら、日本を代表する名経営者とも言えるでしょう。
その徳川家康が風水を最大限に活用して建造した都市が、東京(江戸)です。
戦国時代、現在の東京は北条氏政の領地でしたが、北条の拠点は小田原城でしたので、東京は領地の端の方であり、殆ど荒地でした。
沿岸部は草地や湿地で、内陸部は原生林の山林、そして大雨で氾濫する河川と、風水的に決して良い土地とは言えません。
風水的には、四神相応に恵まれた、なだらかな山の中腹が理想とされますが、東京はやや平坦過ぎでしょう。
しかし、江戸に注目し、平安京以上の風水都市に仕立て上げたのが徳川家康に知恵を授けた天海僧正でした。
天海は、江戸の都市計画から日光東照宮の建造まで手がけました。
ただ、その手法は中国の伝統風水によるものではなく、伝統風水に日本独自の
家相を織り込んだ手法と言えるでしょう。
江戸城の鬼門(北東)に該当する上野には、東叡山寛永寺が置かれ、裏鬼門(南西)には目黒不動が配されています。
また、江戸城を取り囲むように、目黒不動(目黒区の竜泉寺)、目赤不動(文京区の南谷寺)、目白不動(豊島区の金乗寺)、
目青不動(世田谷区の教学院最勝寺)、および目黄不動(台東区の永久寺)が建造されています。
この5つの寺院は、通称『江戸五色不動尊』と呼ばれており、各色は、
五行説
の色そのものになっています。
即ち、目黒不動の黒は五行の『水』、目赤不動の赤は『火』、目白不動の白は『金』、目青不動の青は『木』、そして目黄不動の黄は『土』を表します。
天海は、日本独自の家相と中国伝統風水を組み合わせて、江戸を立派な風水都市に仕上げたのです。
風水都市 - 東京の地形
東京(江戸)の地形が必ずしも良くないというのは、まず、北の玄武あるいは西の白虎からあまりにも離れている点でしょう。
北の玄武は、栃木県日光市近辺の山々、西の白虎は、丹沢山、大岳山、雲取山や富士山が該当するでしょう。
そして、南には鳳凰に相当する様々な川や運河、そして陸運を助ける道路や海運を助ける東京湾も広がっています。
しかし、東の青龍はありません。
以上から、東京が風水上、今一という点は、北の玄武あるいは西の白虎からあまりにも離れており、
土地が低く平坦であるため水害の危険性がある点と、東からの攻撃に弱いという点です。
現代社会においては、東からの攻撃として考えられるのは、福島原発からの放射能の拡散が代表例でしょう。
福島原発も離れているので、大きな問題にはなっていませんが、東の青龍があれば、放射能はさらに低減できたでしょう。
天海僧正が仕上げた立派な風水都市とは言え、地球温暖化の影響もあり、水害の危険性については今後益々大きな問題となってくるでしょう。
東京の地形